昼下がりの亜ヴィンチ。

右脳も左脳もおしゃべりです。徒然なるままにそれらが思ったことが書かれるblog。ゲーム/ゲーミフィケーション/モチベーション・マネジメント/企画/マーケティング/デザイン思考/人工知能/人間と機械/性格分類/教育/キャリア教育/ケーナ/浦沢直樹/荒木飛呂彦/Leonardo da Vinci/

隣の人と話してもそれは異文化コミュニケーションというのではないか。

私は生まれつきのニッチです。(※ビッチではないです。)その経緯については以下にまとめています。

storys.jp

大体、何をとってもほとんどマイノリティなのです。

学校では英語が好きでしたが、英文法がパズルみたいで面白いからという理由で会話には全く興味がありませんでした。ドラクエ派かFF派かで言えばサガ派です。ゲーム好き女子というのもそもそもマイノリティですし、私は女性にしては声が低いです。大学に入ってから始めた音楽は南米の民族音楽でサンバ…ではなくフォルクローレアンデス地方の音楽)ですし、大体今でも演奏している楽器はケーナといって概ね自己紹介でそれに触れれば、クラリネットと違って説明が必要です。また、ポケモンが好きすぎて、小学生当時Windows95が出回り始めてインターネットが一部でしか使われていなかった時代にインターネットを駆使して裏技を検索しまくり、学級新聞にして出版して他の学年から問い合わせが来る程度のマニアックさを持ちあわせていましたが、それもどう考えてもマジョリティが取りうる行動ではありませんでした。

 

そんな私なので、「自分の常識」が他の人に当てはまるとは全く考えていません。しかし、「普通」に対する興味は昔からありました。なぜならば「普通でいないことの嗜みとして、普通とは何かを知っている必要があるのではないか」と昔思ったからです。

 

そんな私が日本で普通ウォッチングを実施し、イギリス留学に行き、帰国して社会人になって思ったことは「たとえ同じ国の人だとしても、結局誰ひとりとしてまったく同じ文化を持っていない」ということだったのです。

 

考えて見れば当然なんです。一番小さな社会の単位は「家族」です。家族毎のルールだって完全に一致してないんです。うちのカレーは大変な甘口ですが、他所の家庭は辛口だったりします。夕食の時間が18時のところもあれば19時の所もあり、食事をしながらテレビを見ても良いかどうかという点だって異なります。家族の口癖が移れば話す言葉も変わるでしょう。

 

そう、家族という社会単位の間でさえも固有の文化が生まれ、異なる文化を持った人同士が話をすればそこで異文化コミュニケーションが生じるんです。そりゃそうだ。そうなんですよ。

 

…とはいえ、地域なり、性別なり、何かしらでまとめると、傾向はあるわけで。マーケティング関係に従事しようと思う際にはそういう傾向を掴む必要があるのですが、私は自分がニッチなので自分の直感を信じていません。そういう時に頼りになるのが「データ」です。だから、私は資料を集めます。ソースが無ければ「普通」を判断できないのです。だから、データってすごいと思うんです。私にとっては相棒ですね。

 

そんな感じです。